モダンデザインや近代建築に惹かれて、建築家になりたいとかなりたくないとか考えていた時期がありました。その頃に書きとめたデザイン講義のメモを最近見つけました。家具デザイナーが引き出しや椅子など作品を説明するのをスケッチしながらノートを取ったものです。それを見て、
懐かしい
ではなくて、
すぐに思ったのは「これでは伝わらない」の一言でした。自分のメモを批判しても仕方ないのに、「これではこのデザインの面白さや、機能や魅力が伝わらない。メッセージがどこにあるのかわからない。一番伝えたいことがわからない。なぜこれを伝えたいのかがわからない。なぜこれに注目したいのかがはっきりしないまま書いている。」そんなことを考え続けました。
どうもこれは、最近読んだSteve Jobsの本や、あるいは最近携わっている仕事の影響なのですが、それだけでなく「今もし同じ講義を受けたなら、もっと面白く伝わるメモが書ける」とふと思いつき、我ながらちょっと驚きました。
デザインや建築を志していた頃は、そうしたもの(ほとんど)すべてを感覚で理解していました。いや、そういうものを捉えるのは感覚であって良いのです。しかしそれを書き現したり誰かに説明し伝えようとするときも、その手段は感覚の延長でしかありませんでした。それが何かしら自分の限界だと分かっていながら越えられず、感覚に従うほかありませんでした。
ところが今、コミュニケーションとかプレゼンテーションとか、メッセージを伝えるとか、主張や論旨を明確にするとか、そんな視点を(やや職業病的ですが)つねに持つようになりました。事実は何か、ストーリーは何か、根拠は何か、本質は何か、結論は何か。
こうして知らぬ間に獲得した視点が、ひょっとしたら椅子のデザインやモダニズム建築を説明するのにも役立つなどとは考えてもみませんでした。(およそ知識や経験や技能のように目に見えないものを身に付けたことは、なかなか実感しないものです。)
それは、
要するにコミュニケーションなのです。デザインのスケッチでも、インタビューでも、ブログの記事も、プレゼンテーションも、写真も。感覚の限界をビジネスで使うリアルなコミュニケーションを駆使して越えていくこと。これは新しいテーマになりそう、と漠然と考えています。