2012-09-30

264 September


フランスで国民的大ヒットを記録した映画”Intouchables"は世界中を席巻しているようです。事故で首から下が麻痺してしまった大富豪と、口が悪いが大らかでパワフルなスラム街の青年、その2人のこのうえなく楽しく幸福な友情は実話に基づくものです。奇跡的な事実が時にこうして実現すると、まるで寓話のような単純さと力強さで人を揺さぶるものです。

最初から最後まで、すべてが名場面と言えるほど丁寧に作られ、わざとらしさや無駄も一切なく、ただ楽しい気持ちの純度がずっと保たれるという奇跡的な映画です。中でも痛快な場面といえば、あわやスピード違反で検挙されそうになったところを悪ふざけで逃げおおせた2人が、その成功を祝ってEarth, Wind & Fireの"September"を大音量でかけながら車を飛ばすシーンです。 首から下が動けない車椅子の紳士が、ただ首を縦に振るだけで見事に音楽に乗り、その心中の喝采が聞こえてくるような躍動感を見せてくれるのです。曲で場面が引き立つことはよくありますが、ここではこのミニマムな動きが曲の魅力をさらにかき立てるという、不思議な力のこもった場面です。

2012-09-28

263 Bus Tour

都会の観光バス、と聞くと「観光客が乗るつまらないもの」と片づけてしまいがちですが、初めて訪れる都市では非常に役立ちます。1時間ほど地上の景色を楽しみながら街の要所をくまなく巡るだけで、街の構造が分かり、道が分かり、雰囲気が分かり、人の様子が分かり、距離感が分かり、土地勘が付いてきます。そこまで俯瞰できればあとはバスを降りて歩いてみるのは簡単なことです。

クリスマスのコペンハーゲンでも、秋のヘルシンキでもバスに乗って楽しい街巡りを満喫したのですが、一味違ったのはパリの観光バスです。驚いたのはその速さ、です。かなり背の高い2階立てのバスで、2階席はオープンです。それがパリ中心部の混みあう道をすさまじいスピードで駆け抜けるのです。石畳の坂道を急降下していったときには、まるでジェットコースターでした(手すりにつかまらないと振り落とされそうなほどです)。もちろん子供たちは大喜びでしたが。疾走するバスの2階から、セーヌ川や、ノートルダム寺院や、コンコルド広場の夜景や、シャンゼリゼの夕景に目を見張ったものです。しかし、あまり長く風にさらされたせいか、バスを降りたときにはすっかり身体が冷えていました。身震いしながら目の前にあったカフェに駆け込み、「ホットチョコレートはありますか?」と聞くと、店主が「無いわけがないだろう、ついでに甘いものでも食べていったら」と笑いながら答えてくれたのが、楽しい思い出に残っています。

2012-09-18

262 Reunion

There is no punchline in this story. This is just personally funny, but I'd dare to share it with readers.
One of my best friends and I met our old homeroom teacher who taught us arithmetic at elementary school years and years before. We talked and laughed a lot. Suddenly the teacher looked me in the eye and said, "your laughter is exactly the same as the days when you're a kid in my class" I'm not sure if this is something happy to know, or worthy to share, but it left something to me.

2012-09-09

261 A Glass of Quality


There's a huge difference in sense of taste between drinking water from plastic bottle, and from a glass. It's huge as I experience it. The story goes like this. Recently I changed an old plastic cup with which I rinse my mouth and gargle every morning and night, into a finest Finnish-designed glass tumbler from iittala. (I think I should make a short remark here about using designer stuff for the daily toothbrushing---some might say that's a lavish way of life, but it's perfectly reasonable from a point of view. You can serve to your guests with a glass tumbler but you'd never use a plastic cup.)

The tap water was dramatically changed. I did expect it but I didn't expect such a huge difference. While the water is physically just the same liquid, how is it possible to describe the change properly? (Or could it be explained physically, like "the material and the shape of the glass affect the molecular structure of water..." ?)

Whatever the theory is, I felt through the experience that there's something invisible and beyond just a function; that's quality.

2012-09-02

260 Lost & Found

子供が迷子になるというのは、親にとって一大事です。当の子供にとっても大変なことのはずなのですが、自分の記憶を辿ると、迷子の気持ちは親の気持ちとちょっと違うようです。なぜそんな記憶が残っているかといえば、どうやら幼い頃は「迷子の達人」だったようなのです。達人というのは(i)少し目を離すとすぐ迷子になってしまう、(ii)迷子になってもほどなく見つかる―この2つの意味です。親の気持ちで言うならば。
ところが違うのです。すぐ迷子になるのは(i)目を離してどこかに行ってしまった(と自分では思っている)親を探しに行くため、そして(ii)どこかに行ってしまった親を首尾よく見つける、もしくは自分で見つけられなければ人の手を借りられることが分かっている、そういうことなのです。自分が道に迷ったとか、居場所が分からなくなったという意識は全くなく、どちらかといえば「迷子になったのであろう」親を探しに行ってあげている感覚です(親には全く迷惑な話ですが)。ことに面白いのは、ひとしきり自分の足で親を探しまわった後、「これ以上捜索範囲を広げると自分が迷ってしまいそうだ」と考え、手近な人に助けを頼み、親を探し出してもらう(と自分では冷静に思っているのですが、要は泣きじゃくるという行動に移す)、そんな記憶さえあります。
そんな達人が迷子にならなくなったのは、探してあげなくてもいずれ親と出会えることが分かってきたり、自分の捜索範囲が広がって、泣かなくても自力で親を見つけられるようになったからでしょう。

最近は迷子を見かけることも少なくなりました。幼い子に携帯を持たせて迷子にならないようにしたり、常にバギーに乗せてどこかに行かないようにしたり、親が子供から目を離せなくなった時代なのかもしれません。