2011-03-01

116 Seeking the Science

建築家になりたいとかなりたくないとか考えていた頃、学んでいたのは科学論でした。例によってその時はそれが一体何なのかわかっていませんでした。ただとても自由でした。宇宙から微生物まで、ジェット機から顕微鏡まで、途方もなく多様なジャングルジムのような科学の世界、科学の歴史にどこから入ってもどこから出てきても自由でした。何を見つけてもどんなアプローチをしても自由でした。自由すぎて一体何の学問を修めているのか見当もつきませんでした。

こうしたことは学問から離れて初めて分かるのかもしれません。大学を出て修了したと思った学問は、実は大学の外でフィールドワークを続けていたようなものです。世の中で見るもの出会うもの、おおざっぱに言えばそれは全て科学です。(ここでいう科学は「自然科学」ではなく、いわば「理知的に体系づけられる法則や理論」とでもいうのですが、科学的なるものの定義については色々ややこしい議論があって、全部きれいさっぱり忘れてしまったのでここでは省きます。)

物理や医学は科学。もちろん。では園芸は科学?おそらく。スマートフォンは科学?そう思う。通貨は科学?音楽は科学?サーフィンは科学?ランチの約束は科学?スタバは科学?

少々極端ですが、科学ではないとはいえないのです。花粉症の治療は科学だというのが当然なら、新型車を何色にしたら売れるのかも同じくらい科学的かもしれないのです。対象がなんであれ、そこに科学的なアプローチがあるか、科学的な考え方があるか、それだけです。

ではすべてに科学を見つけたら、世の中すべて理論くさくなる?いえ、そうではなく、世の中を眺める目が不思議と実験室の小学生のように「これ、どうなるんだろう?」という純粋な好奇心に変わるような感じだと思います。理論を云々するのは厄介ですが、実験を眺めるのは結構楽しいことではないですか?

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