2012-09-02

260 Lost & Found

子供が迷子になるというのは、親にとって一大事です。当の子供にとっても大変なことのはずなのですが、自分の記憶を辿ると、迷子の気持ちは親の気持ちとちょっと違うようです。なぜそんな記憶が残っているかといえば、どうやら幼い頃は「迷子の達人」だったようなのです。達人というのは(i)少し目を離すとすぐ迷子になってしまう、(ii)迷子になってもほどなく見つかる―この2つの意味です。親の気持ちで言うならば。
ところが違うのです。すぐ迷子になるのは(i)目を離してどこかに行ってしまった(と自分では思っている)親を探しに行くため、そして(ii)どこかに行ってしまった親を首尾よく見つける、もしくは自分で見つけられなければ人の手を借りられることが分かっている、そういうことなのです。自分が道に迷ったとか、居場所が分からなくなったという意識は全くなく、どちらかといえば「迷子になったのであろう」親を探しに行ってあげている感覚です(親には全く迷惑な話ですが)。ことに面白いのは、ひとしきり自分の足で親を探しまわった後、「これ以上捜索範囲を広げると自分が迷ってしまいそうだ」と考え、手近な人に助けを頼み、親を探し出してもらう(と自分では冷静に思っているのですが、要は泣きじゃくるという行動に移す)、そんな記憶さえあります。
そんな達人が迷子にならなくなったのは、探してあげなくてもいずれ親と出会えることが分かってきたり、自分の捜索範囲が広がって、泣かなくても自力で親を見つけられるようになったからでしょう。

最近は迷子を見かけることも少なくなりました。幼い子に携帯を持たせて迷子にならないようにしたり、常にバギーに乗せてどこかに行かないようにしたり、親が子供から目を離せなくなった時代なのかもしれません。

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