話題のオランダ映画「Die Marathon」は、経営が傾きかけた自動車修理工場の資金獲得のため、普段遊んでばかりいる社員達がロッテルダムマラソンに出場して広告主を募るーというお話です。42.195Kmを走るのは、ビールにタバコにジャンクフードが手放せない、貫禄の体型の中年男性4人組。それも一念発起してマラソンを始めるというより、最初は「どうせ走るだけだろ」とふざけ半分。もちろんそんなことでマラソンを完走できるはずもなく、地道に厳しいトレーニングを続け、ブツクサ言いながらも徐々に走りが熱意を帯びてくるとともに身体が絞られてくる様子は痛快です。
人はなぜ好んで走るのか?ランナーにしか分からない喜びがあると言いますが、この映画を見るとその真相が少し掴めるかもしれません。厳しいことは当然厳しいけれども、マラソンは確かに「走るだけ」には違いないのです。ルールや技やフォーメーションを覚える必要もなく、ただ一歩一歩自分の身体で歩を進めるという究極のシンプルさです。マラソンは誰にでもはできないが、走ることはできる。まず走ることができれば、少しづつ走り続けることができ、そうすると身体が変わっていく。そのプロセスはおそらく誰もが経験できることであり、およそマラソンには不向きな男達が、お金目当てとはいえいつの間にか真剣なランナーに変わっていく姿にも説得力があるのです。とはいえこの映画は徹底したコメディであり、だらしない生活を返上してマラソンに出た彼らが心身ともに健康的なアスリートに生まれ変わったのかといえば、そんなわけがまったくないところが笑えます。
何より、この映画は走る栄光にフォーカスを当てているわけではありません。身体の限界までただ走る、という単純の極みに託された主人公のあまりにもストレートな意思表示、そしてあまりにもシュールなラストは、泣くべきか笑うべきか困ってしまうほど予測不能で感動的で強烈でした。
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