2013-09-16

363 Personal Space

パーソナルスぺースとは、米国の文化人類学者Edward Hallが定義したとされます。大学に入りたてのころ文化人類学の講義でこの話を聴いて、正直なところ、そんな当たり前の感覚をことさら学問にする必要があるのだろうか、と感じたものです。もちろん今は、その知識が何の役に立つのかなどとは思わず、むしろその知識を学問を越えて常識に導き、誰もが当然にわきまえて行動できるようにならないものか、と考えています。

intimate distance/personal distance/social distance/public distanceの4種類に定義されるパーソナルスペースは、当然のことながら国や地域、人種、性別によっても異なるとされています。何となくですが、自分自身は周りの人よりもパーソナルスペースが広い、つまり本能的なプライバシー空間の意識が鮮明なように思います。広々として開放的な地方都市で、人混みもないところで育ったためかもしれません。背高のため手足の置きどころに人よりもスペースを要するからかもしれません。しかし何より、自分と違って他の多くの人がパーソナルスペースの侵害を受けても割合と平気なように思えるからです。人混みや地下鉄の中で、自分が見知らぬ人にある一定程度を超えて接近されたときに本能的に芽生える警戒感や不安定さを、その相手はまるで持たぬように見えるのです(相手から見れば、こちらも見知らぬ他人であるのに)。

ある意味、パーソナルスぺ―スを狭くすること、持ちすぎないことは大都会で平穏に生活する術なのかもしれません。しかし人間も動物である以上、生まれつき備わっている動物的本能は、とりわけこうした身を護るための感覚は大事にこそすべきで、鈍らせてはいけないように思います。

パーソナルスペースの意識が強いと生活しにくいのは事実です。ただ悪いことばかりではありません。intimate/personal/social...の仕切りがより明確に意識されているということですから、見知らぬ人の接近に対する警戒感は、家族や家族同然の相手に対する親しみや安心の度合いもそれだけ大きい、ということではないでしょうか?

No comments:

Post a Comment