2015-09-12

562 Cinderella

ディズニーの古典アニメーションにより世界中で知らない人はいないシンデレラの物語を再びディズニーが実写化した"Cinderella"は、誰もがおなじみのストーリーをきわめて美しく、格調高く、かつモダンに活き活きと描き出し、ほぼ非の打ち所のない映画となりました。魔法や動物の助けを借りるファンタジー性は必要最小限にタイトにまとめられ、代わって人物描写に重きを置いた脚本を得て、従来のおとぎ話から、いわばシェイクスピア喜劇のような人間ドラマとして新たな魅力を開拓したようです。

この有名な話は繰り返しませんが、結末に至るまでよく知られた筋立てであるからこそ、ストーリー展開に気を取られることなく登場人物の何気ない会話や表情などの描写により注意が向くとも言えます。特に興味深いのはシンデレラの2人の義姉。この映画での彼女達の悪役ぶりは冷酷さや邪悪さというより、無知や未熟さ、あるいは悪趣味から来るものと解釈されているようです。2人とも根っから悪なのではなく、ただ幼稚に、母親を真似てシンデレラを見下しているにすぎないのです。外見はなかなか美しいのに躾も教養もない姉達をシンデレラは「一度ならず気の毒に」思い、加えて実の母親までが「美しいだけで愚かな娘達」と思っているというどうにも救われないキャラクターですが、舞踏会の土産話を自慢げに、それでも親しげにシンデレラに語っている姿や、国王に身分を明かして幸福を得たシンデレラに驚き謝罪し、その幸せそうな様子を思わず微笑んで見入る2人の姿(そんな2人を、国王の信頼篤い大尉が笑顔で見ている様子も一瞬映し出されます)は、悪も善も併せもつリアルな人間の複雑さを示しているかのようです。

またシンデレラが国王に対し本名の「Ella」でなく「Cinderella(灰かぶりのエラ)」とわざわざ名乗る理由はいくぶん考えさせられました。彼女にとってCinderrllaは忌むべき名前のはずですが、何不自由なく自由に過ごした子供時代を象徴するのが本名だとすると、自身をシンデレラと名乗ることで、灰まみれで仕事に明け暮れた辛い経験も含めて今の自分自身であるという勇気ある表明なのではないでしょうか?

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