2010-02-05

25 Zooey

「フラニーとゾーイー」("Franny and Zooey"
J.D.サリンジャー著、1961年

サリンジャーが2010年1月27日に亡くなったとのニュース。

読書家というのは多読であるはずですが、私の場合は気に入った本を呆れるほど何度も繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し読み、他の本は読まない、という傾向があります。幼いときは「シートン動物記」、学生時代は夏目漱石にはまり、20代でサリンジャーでした。(この選択に、何の傾向も読み取れないのですが。)

このストーリーの持つ精神性がx軸、機知と洒脱さがy軸だとすると、もうひとつ、非常に鮮やかで映画的な光景描写という、いわばz軸があるような気がします。

ゾーイーがフラニーとの議論の最中、窓の外を見ていたところ、「街角の並木で、ネイヴィー・ブルーの上着を着て赤いベレーを被った子供が、緑色の紐のついた彼女のダックスフントとかくれんぼして遊ぶ光景」を見守ったあと、「世の中にはほんとうにきれいなものがあるのに、脱線するのはぼくらがみんなバカだからさ」と語るシーンがあります。なぜか一番好きな場面です。

特に赤いベレー帽(正確にはスコットランド風のベレー、タモシャンター)が、アルルのゴッホの部屋にあった毛布の色に似ている、というくだり、さらにそれが「ゾーイーの位置からは、実際、絵具を落としたように見えなくもない」、この一節がなぜかとても強烈な印象でした。アルルのゴッホが描いた明るい光の指す水色の壁の部屋の、明るい赤い色の毛布、それがニューヨークの街路樹の下にいるネイヴィー・ブルーの上着を着た女の子のベレー帽と重なる、その一節はまるで映画を見ているようです。「ほんとうにきれいなもの」をゾーイーと一緒に見ている感じなのです。

そういえば、私のネイヴィー・ブルー好きもここからきているのかもしれません。

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