12歳のときからの親友が歯科医師をしています。専門は摂食嚥下障害。簡単にいうと、怪我などにより口から食べ物を摂取できない障害をリハビリで改善したり外科的に治療する、とのこと。
12歳のときには一緒に新聞を作ったものですが、今は全く違う仕事に就いています。ところが、不思議なことに互いの仕事は多くを語らずともよく分かるのです。私は、あごの骨のレントゲン写真を見ても何も分からないでしょうし、友達は、ケイマン諸島法の投資契約を読んでもあくびが出るだけでしょう。でも相手が、何をしてきて、何を目指して、何を思って、何を経験し、今何をしているのか、それぞれの同僚よりも良く理解できるのです。しかも、12歳の親友同士が共有するような、最小限の言葉で。
大人になってからの親友とは、それまで記してきたダイアリーを読み合って互いを理解するようなものだとすると、子供のときからの親友は、最初から同じ一冊のダイアリーに書いているようなものです。めいめいが勝手に書き込んでいるのですが、いわば相手の歴史は自分の歴史でもあります。
先日Financial Timesに「よちよち歩きの幼児と優れたCEOの共通点」について愉快なコラムがありました。子供は知恵も経験もなしに、彼らなりに本能的に周りの小さな世界をマネージしているということでしょうか。
子供時代というのは、マネジメント、リーダーシップ、コミュニケーションにおいてひょっとすると不思議な万能の力があるのでしょうか。大人は、それがあったことを覚えていられれば良いのかもしれません。
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