2012-05-30

237 Fables

Illustration by Maurice Boutet de Monvel for "Fables choisies pour les enfants"
Snow White has been cinematized. Alice in Wonderland was also. Even The Lord of the Rings could be filmed. Fairy tales, the Greek myths, epics, Sci-Fi, so they are. But I'm sure that my favorite mottoes in childhood could never be visualized. They're Fables by Jean de La Fontaine, and stories and chronicles of wildlife by Ernest Thompson Seton.

In reading La Fountain's Fables, where people and familiar animals do something wrong or funny, stupid or thoughtful you could feel pleasant esprit, refined humor, and subtle moral. It's really a casual and innocent world. It's a sober manner, sober enough to become sometimes very surreal. Imagine the tiny story--- a crow is having a cheese in its beak. A hungry fox sees it, and approached, saying flattery to the crow. Finally the crow couldn't resist to sing, and drop the cheese, which the fox cleverly takes. Perhaps  nobody wish to cinematize this, but perhaps anybody could agree that this is more than a dramatic script or visual effect.


I used to read Ernest Thompson Seton's wildlife stories in such an enthusiasm. I don't know why but "Lobo the King of Currumpaw", or "The Biography of a Silver Fox" were to me a true hero stories. Instead of being charmed by fairy tales or superheroes I liked to free my imagination on the unknown land and unknown life in the Rocky Mountains, Canada, New Mexico or the Arctic Circle, with wolves, bears, reindeers, rabbits and horses. In these stories I've learned how wild animals follow their instinct, how vital is it to keep the natural law to protect life and avoid unnecessary conflict with their enemies, but in combat, how they maximize the strength, advantage and specialty while making the weakness inconspicuous as much as possible.


Simplicity is the finest aspect of the fables and animal chronicles. They tell us to "Do the right thing."

2012-05-27

236 Good listener

Goldman Sachsに関する本を読んでいたら、あるパートナーのこんな逸話が登場しました。

腹を立てた顧客のところに謝罪に行くと、顧客は烈火のごとく怒っていた。彼が話を聞いている間、顧客はその怒りを繰り返し、不満をぶちまけ続けた。彼が耳を傾けていると、そのうち顧客は彼がわかってくれたのならいいがと言い、聞いてくれたことに感謝をする。ちょっと言い過ぎてしまったと言いながら、オフィスにまで来てくれたことをありがたく思うと言う。問題ははっきりしたし、きちんと理解できたから、今まで通り、いやこれまでに増してつきあっていきたい。彼は聞き続ける。顧客は彼が迅速に反応し、配慮し対処してくれたことに感謝する。彼は引き続き話を聞く。やがて彼が黙っていると顧客はひと呼吸おき、彼の手をとって握手し、話をじっくり聞いてくれたことに感謝し、すべて水に流してこれからも一緒に仕事をしてほしいという。彼は最高だと。

翌日もう一人のパートナーが彼に尋ねる。「客が怒鳴り散らすのを聞いていて、いやにならないのか?」彼は答える。「彼は腹を立てていたから、うちのだれかに言い分を聞いてもらいたかっただけだ。僕は一言ももらさず聞いてはいたけど、実は明日何をしようかと考えていた。どうってことなかったよ」

滑稽なような、またいささか無礼なような感じもしますが、顧客は彼が本気で謝罪していないどころか明日何をしようかと考えていたことにも気づかないほど腹を立てていて、誰かに聞いてほしかっただけなのですから、ただ話を聞くのが最良の解決策であったのは間違いありません。

誰かの話を聞いてあげることは単純で簡単で効果の高いコミュニケーションですが、この話のように「反論せず、言葉を挟まず、本当にただ話を聞く」のは意外に難しいことです。話を聞いているつもりでも、相手が間違ったことを言った場合、とりわけ他ならぬ自分のことについて間違ったことを言われたら、つい聞き手の役目を忘れて口を出し、議論になってしまうものです。自分のことを何だかんだと言われるのを黙って聞き続けるのは全く「いやになる」でしょう。黙っておられず自分の意見を言って相手の考えを正したくなるのが普通でしょう。けれど、話を聞いてもらうことに飢えている人は多くても、議論に飢えている人はほとんどいません。良い悪いではなく、それが事実です。ひたすら話を聞くことが時として自分の役割であることを引き受けるのならば、それで相手が満足して話を終えられるのなら、「明日何をしようか」などと気楽に考えているのも手かもしれません。

2012-05-20

235 Away from Social Networks


Recently I noticed two new things have kept me away from watching/posting Facebook and Twitter for a while. One is the Monocle 24 which gives me a totally awesome program, the best mixture of musics from all around the world and international broadcasting. The other is a small Geneva sound system which I bought recently. It enables me to listen to my iPod sound list so smoothly (this would be a matter of course for any sound system with an iPod dock, but Geneva's style is outstanding.)
Social networks (including this little blog) have numerous fun and utilities, and generally in a good sense they're amateur, artless, and ordinary. Monocle 24 and Geneva product are professional, sophisticated and skillful. Both qualities are necessary but latter is overwhelmingly captivating compared to the former.

2012-05-16

234 Supermoon

I remember when I was very young I used to walk to home with my mother. One evening I saw the moon in the sky at the station. Within ten minutes' walk on the path to home, I looked up the sky and saw the moon again. I wondered and asked my mother why it still followed me. She answered to me, "to lighten your way til you would be safe back home." 
A bit later when I came to know that the sun is a burning star, I used to stare at the sun for a while as if I were able to see the flaming core. I never asked my parents why the sun followed me. Somehow I've got a feeling that the sun might be too grand to keep the light just on me. If the moon was the guardian, the sun was the sovereign. Moon follows us while the sun rules us. It's interesting that the childish images were astronomically quite right.

2012-05-14

232 Fuglen

それほどのコーヒー・フリークではなくとも、コーヒーを飲むお気に入りの店が誰でも1つ2つはあるでしょう。その共通点は何でしょう?流行るお店、皆に好かれるカフェの共通点とは何でしょうか。これはそう簡単ではありません。天井は高いのがいいのか?眺めがいいのか?並木道に面している?賑やかなのか、静かなのか?ガラス張りなのか?素朴な雰囲気か、それとも洗練された印象?床はウッドなのか?ラグが敷いてあってソファが置いてあるのか、ミッドセンチュリーデザインのチェアなのか?照明は暗いのか、明るいのか?音楽はかかっているのか?朝まで開いているのか、それとも朝から開いているのか?
カフェの善し悪しはそのしつらえや個性ではなく、そこが自分の居場所になるかどうかです。本来自分の場所ではないところに行って、自分の場所だと思えるのは単純でいて難しいことです。カフェはお客をそういう気分にさせるためにインテリアやコンセプトや雰囲気作りをします。
ところが、そんなことをしない"effortless"なカフェほど居心地がよいものです。先日出会ったカフェもそういう場所でした。おいしいコーヒーを注いで渡してもらったら、好きなところに座るだけ。店がそれ以上全くお客に構わないので、お客の方も気兼ねなく、思い思いにくつろげる。店内のデザインは確かに上質ですが、インテリアに凝ったカフェというより家具屋に行ったらコーヒーも飲めた、といった感じです。カフェという看板をどこかに置いてきたような感じです。居合わせたお客はそれぞれ居心地よく自分の場所におさまって、もっともらしいカフェ・タイムは忘れてただマイ・タイムを過ごしている、そんな店でした。

2012-05-05

231 Conifer

The moment you walk into woods,


you see trees taller, much older and yet much fresher than you.










It's the beginning of summer.

2012-05-04

230 3D or 2D?


"May the 4th" ---it seems today is an anniversary for Star Wars universe

観客にとって映画は面白さがすべてです。ほとんどの場合、2Dか3Dかの違いは大したことではありません。ストーリーの面白さは長く記憶に残りますが、映像の効果は見ているその瞬間の驚き、楽しさにとどまります。しかしだからといって価値がないのではありません。3D映画を見て、後でそれがどんな感覚だったか思い出せず、説明もできないのだとすれば、それだけ新鮮で想像を超えた映像表現を目の当たりにしたということです(そうでない場合もありますが)。
Toy Story 3」「Christmas Carol」「Thor」「Harry Potter―近年、3Dで見て面白かった映画です。ディズニーやピクサー作品、特にChristmas Carolの繊細で丁寧な3D表現は秀逸でした。やはりアニメーションはもともと自由自在な画面が作れるだけに3Dに違和感がありません。後2つはいわゆる大作ですが映画全体のアートワークがなかなか素晴らしく、これも3Dで体感すべき楽しさの一つです。
一方、昨年の3Dブロックバスターとなった「Pirates of the Caribbean: On Stranger Tidesは機内で見ました(勿論2Dで)。映像の醍醐味は到底なく、目を凝らして小さな画面を見ているだけでしたが、エンタテインメントの面白さを損なうことはありません。
Hugo」「The Adventures of Tintin」といった評判の3D映画を見ていないため正確な判断はできませんが、結論としては2Dでも3Dでもどちらでもいいように思います。3Dでリマスターされた「Star Wars Episode1」は初公開時より若干面白く感じましたが、映像に奥行きや臨場感が足されると具体的にどうなのかと言われれば、「何となく格好良くなる」といったところです。
 
今年のアカデミー賞を席巻した「The Artist」や「My Week with Marilyn」「Midnight in Paris」はいずれも素晴らしく面白く、質が高く、美しく、そして3D化などは誰も考えもしない映画です。ではSFXをふんだんに使った娯楽大作で、アクション満載でロケーションと映像に凝った映画であれば例外なく3Dなのかといえば、「Mission Impossible―Ghost Protocol」は2Dでした。2Dがよいか3Dがよいかなどとは一瞬も考えずに済むスリリングで実に面白い映画でした。一方、3Dで公開された「John Carter」は、面白いというよりいささか不思議な映画ですが、火星の王国というファンタジックな世界とアクションシークエンスにおいて3D表現は見事でした。
全編にわたり注意深く映像美を追求した映画を3Dで見られれば素晴らしいものになるでしょう。しかし映画館はテーマパークではなく、かつ、自分とスクリーンとの間の程よい距離感に満足している観客は少なくないだろうと思います。

2012-05-03

229 Financial Times


from FT, "Peter Martin Fellowship"


"The Financial Times is offering a three-month internship in the memory of Peter Martin, the FT’s former chief business columnist and deputy editor, who died in August 2002 at the early age of 54."

コラムニスト、Peter Martin氏を偲びロンドンで開催されるFTインターンシップの記事を目にしました。思わず、経済の学生でもないのに応募したくなりました。「アイディア、ウィットと人間性をもって紙面に貢献し」「独自の洞察がきらめきを見せるコラム」を書ける力とはどういうものなのか、とても興味を惹かれました。

しかしもちろん3ヶ月間仕事を放り出すわけにもいきません。金融でもメディアでもホワイトカラーにとって初夏はインターンの季節ですが、学生ばかりでなく職業を持つ人間にもこのような機会があればと願うばかりです。

参加者は「経済学のすぐれた基礎を身につけ、独自の思考を持ち、情報には不足していないがプロではない読者にも理解しやすい流暢な文章を書けること」が求められます。さらに経済またはビジネスに関する500 wordsの論説を提出すること、とありました。

自分がもし応募するとして(しませんが)何を書こうか?とまで考えました。

「経済学のすぐれた基礎」を学校で学んだことはありません。しかしひとたび仕事を始めると、何であれ自分の経験を通して世の中を見るようになります。経済を見るのが仕事ではなくても、日々刻々と、年々と、自分の仕事の環境や世界には変化が次々に訪れます。好調な数年、過熱さへの警鐘、終わりの兆し、危機、破綻の回避、そして再生。この数年間に世界経済で起きたことは自分のデスクの上、PCのモニター、電話の向こう側の相手との間にも小さな規模で同じことが起きていました。新聞のヘッドラインを見なくても同僚や友人との会話、コーヒーの価格の変化、新しい都市開発の光景、テクノロジーが急速に生活に入り込む様子を見れば、ビジネスの力学や景気のサイクルは気温の変化のように感じられます。10年に満たない自分の仕事経験からでも、世界がめまぐるしく、しかも大規模なダイナミクスで動いていることが感じられます。20年、30年働いている人にはさらに深い洞察があることでしょう。それが、経済のプロではなくても誰にでも起きていることなのです。自分の仕事人生が激しく変動しているのであれば、おそらく他の誰もが同じことを経験していて、それが世界中の人間に同じことが起きているのです。誰もが仕事以外の人生で様々なドラマを抱えているのに仕事にまでこれほど劇的な時間を過ごさねばならないとは、まったく現代は大変な時代です。

世界経済とは何かと問われれば、自分の経験から感じ取ったままこう答えます。
「巨大で精緻でよく出来たシステム。しかしまだ完璧な制御方法が見つからないもの」。もしくは「最高の材料と素材によって作られ始めたが、難解すぎる組み立て方をしてしまった結果、元に戻す方法が見つからないもの。しかしアイディア、ウィットと人間性をもって改善する試みが続けられるべきもの」。

To those who are interested in this internship program at FT;

2012-05-02

228 Paul Cézanne

"Mont Sainte-Victoire", 1904

Cézanne has always been my favorite since I saw some famous works in the art textbook in junior high. I've got to know many other painters of classics and modern but to me his works are unrivaled. Actually they are magical.

When I see Cézanne's paintings especially the Provence scenery, I feel like taking deep breath as if I were really in the middle of the woods. It's because of the beautiful bright green color, but I'm sure that not every artist's works make me feel so. The difference is the depth. I see his paintings with my sight and at the same time with my other four senses. This sounds odd but may possibly be right because Cézanne would love to walk in the nature to get inspiration with stimulating all the senses he had.

I know this is cheeky enough, but Cézanne and I are congenial with regard to the obsession for natural green. He thought that green was the color of vitality and tenderness (to eyes), which I agree though I've never really thought about why I'm so attracted by botanical green. Only his work lets me leave the museum and take me out to breathe in the green forest or at the river bank.

As to another obsession for the mountain, of course his renowned Mont Saint-Victoire, I have something in common. My hometown has a famous mountain which doesn't look like real Saint-Victoire but is closer in his paintings. It looks as if a giant god is sitting with his vast robe trailing and covering all over, just like "the Ghost of Christmas Present" in A Christmas Carol. Mont Saint-Victoire looks somewhat supreme, or sublime to me and I imagine how Cézanne would take his own image of the mountain. 

2012-05-01

227 Green Mercedes

This is the same model as far as I could tell, but the color is different

Today I saw a Mercedes parking on the broad street near my place. I saw it in the morning, in the afternoon and afterwards, but no one seemed to care about it (though it was in a No Parking area). The handsome cabriolet was in unusual ivy green and was modestly shining. It was tidily beautiful. I felt like taking some pictures of it but couldn't. It was too close. It was too close to fully consider and protect the privacy of the owner. I stared at it for a while and left.

How do you, supposing you're the owner of a nice car, feel about it? You may feel alright and even happy when you know people look at your car with admiring faces. But you would certainly get annoyed if your car is being photographed without permission.

So I gave up of course. But I wished if only there was a signature, like an armband or something, to identify me officially that I would take photo out of praise and effort to picture the moment of joy.