2012-05-27

236 Good listener

Goldman Sachsに関する本を読んでいたら、あるパートナーのこんな逸話が登場しました。

腹を立てた顧客のところに謝罪に行くと、顧客は烈火のごとく怒っていた。彼が話を聞いている間、顧客はその怒りを繰り返し、不満をぶちまけ続けた。彼が耳を傾けていると、そのうち顧客は彼がわかってくれたのならいいがと言い、聞いてくれたことに感謝をする。ちょっと言い過ぎてしまったと言いながら、オフィスにまで来てくれたことをありがたく思うと言う。問題ははっきりしたし、きちんと理解できたから、今まで通り、いやこれまでに増してつきあっていきたい。彼は聞き続ける。顧客は彼が迅速に反応し、配慮し対処してくれたことに感謝する。彼は引き続き話を聞く。やがて彼が黙っていると顧客はひと呼吸おき、彼の手をとって握手し、話をじっくり聞いてくれたことに感謝し、すべて水に流してこれからも一緒に仕事をしてほしいという。彼は最高だと。

翌日もう一人のパートナーが彼に尋ねる。「客が怒鳴り散らすのを聞いていて、いやにならないのか?」彼は答える。「彼は腹を立てていたから、うちのだれかに言い分を聞いてもらいたかっただけだ。僕は一言ももらさず聞いてはいたけど、実は明日何をしようかと考えていた。どうってことなかったよ」

滑稽なような、またいささか無礼なような感じもしますが、顧客は彼が本気で謝罪していないどころか明日何をしようかと考えていたことにも気づかないほど腹を立てていて、誰かに聞いてほしかっただけなのですから、ただ話を聞くのが最良の解決策であったのは間違いありません。

誰かの話を聞いてあげることは単純で簡単で効果の高いコミュニケーションですが、この話のように「反論せず、言葉を挟まず、本当にただ話を聞く」のは意外に難しいことです。話を聞いているつもりでも、相手が間違ったことを言った場合、とりわけ他ならぬ自分のことについて間違ったことを言われたら、つい聞き手の役目を忘れて口を出し、議論になってしまうものです。自分のことを何だかんだと言われるのを黙って聞き続けるのは全く「いやになる」でしょう。黙っておられず自分の意見を言って相手の考えを正したくなるのが普通でしょう。けれど、話を聞いてもらうことに飢えている人は多くても、議論に飢えている人はほとんどいません。良い悪いではなく、それが事実です。ひたすら話を聞くことが時として自分の役割であることを引き受けるのならば、それで相手が満足して話を終えられるのなら、「明日何をしようか」などと気楽に考えているのも手かもしれません。

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