2010-05-08

53 Creator and Client

建築とファッションの類似

といっても、一時期はやった表象的文化人類学的な意味ではなくて、もっと単純な話です。

建築科の大学生がこんなことを言っていました。
「ある建築ができあがると、建築家は自分がこれを作ったといい、設計士は自分がこれを作ったといい、建築施工技師は自分がこれを作ったといい、大工や左官も自分がこれを作ったといい、顧客も自分がこれを作ったといい、そこにディベロッパーがいるなら、ディベロッパーも自分がこれを作ったという」

要するにかかわった人たち全員が、自分の作り上げたものだと主張したいのだそうです。

さてファッションは?
デザイナーは自分がこれを作ったというでしょう。
パタンナーも自分がこれを作ったというでしょう。
生地をカットし縫ったり合わせる人も自分がこれを作ったというでしょう。
生地を織ったり編んだりして作る人…は、そこまでいわないと思いますが、Haute Coutureの作品でそのためだけに特別な生地が必要になったなら、そういってもいいと思います。
注文した顧客も、自分が作ったとはいわないまでも、自分が誂えた、といういいかたはできます。

これまた、かかわった人たち全員が、自分が作り上げたと主張してもよさそうな気がします。

ただしかかわる人たちが多いけれど多すぎないのがポイントです。
もし建築デザインとファッションデザインがこうした点で似ているとしても、グラフィックデザイン、インダストリアルデザイン、音響デザイン、都市計画で同じことがは起きないでしょう。違うのは、こちらはかかわる人たちが大変多いというか、不特定多数の人たちを対象にしていたり、形のないものをデザインしているため。

Le Corbusier(写真中央)なら、誰が建築を作るのかという問いには「機能と美学がこれを導く」とでも答えたでしょうか。偉大なモダニズム建築家で、作家性も自我も強い巨匠であったと思いますが、なぜか「自分がつくった」とは答えない気がします。

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